死んだふりで敵をだます演技派、キタオポッサムは短い寿命を駆け抜けている

有袋類

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子どもを背中に乗せたまま樹上生活するキタオポッサムの母親
photo by:PxHere
名称(学名)
キタオポッサム(Didelphis virginiana)
分布
北米大陸
生息域
あらゆる地形(森林、草原、湿地、高山、砂漠、雪原など)
体長
33~55㎝(頭~胴 )、25~54㎝(尾)
体高
15~28㎝
体重
1.9~2.8㎏

「生きた化石」と誤解されるほどに歴史ある有袋類

 キタオポッサムはしばしば「生きた化石」と勘違いされる。その理由は大きく2つあるようだ。ひとつはオポッサム科が北米大陸で生き残っている唯一の有袋類だということだろう。

 彼らはカンガルーのように子どもを袋の中で育てる。これは現代において非常に珍しい特性だ。大多数の動物は袋を捨てて胎盤を発達させ、胎盤動物として今も活躍している。そうした背景にあってオポッサム科の動物はなお袋を失わずに、太古の特性を保ち続けている。いわば”化石”となるには十分なほどの期間を、古い姿のまま生き続けてきたわけだ。

 生きた化石と混同された理由はもうひとつある。こちらはより直接的な理由で、キタオポッサムが生物史における初期の有袋類と姿が似ていることに起因する。

 キタオポッサムとよく似た化石は中国で発見され、時代同定によると1億3000万年前の化石であることが判明している。もしこれが現代のキタオポッサムとまったく同じ動物であるならば、確かに「生きた化石」として認めることができるだろう。

 かつて恐竜が絶滅したのち、哺乳類の祖先はその穴を埋めるように地球上へ広まっていった。その過程でキタオポッサムが生まれ、現代までその姿を維持し続けたのではないか、という仮説には確かにロマンがある。


 だがキタオポッサムに通じる先祖が生まれたのは、実際には中新世の頃(約2300万年前)だ。北米で暮らしている動物の中では、むしろ新参者として扱われている。

 約300万年前、北米大陸と南米大陸が陸続きになり、多くの動物種が南米から北米へ渡ってきた。これらが先発組となったおかげで、米大陸の生物多様性は飛躍的に高まっていく。

 一方、キタオポッサムが北米へ渡ってきたのは約80万年前と比較的最近の話になる。つまり彼らの歴史はそのほとんどが南米大陸で過ごしたものであり、北米大陸で過ごしていたのはごく短期間に過ぎないのだ。

 南米から北米へ進出を果たす過程で、オポッサム科の動物は多くの適応を果たしたに違いない。それはキタオポッサムも例外ではない。姿こそ1億年以上前の祖先と似ているが、中身の遺伝子情報はまるで異なっている。

 それでも旧世代の動物に似ているという事実は確かだ。多大な環境変化を経験してもなお、彼らは祖先にも通じる強みを活かして生き残ってきた。かつての姿とまるで同じとまではいかないが、そのしたたかさを今も備えているという意味では、キタオポッサムも「生きた化石」と言えるのかもしれない。

たくさん産んで、たくさん背中に乗せる母親

 動物の中には、背中に子どもを乗せたまま生活する者がしばしば現れる。たとえばアリクイ科の動物では顕著だ。

 コアリクイの母親は子どもを背にしがみつかせたまま木に登り、落下すれば無事では済まない高さに身を置く。オオアリクイの母親も子どもが水没しようとお構いなしに、水中へ飛び込んで毛づくろいを見せてくれる。なかなか容赦がない育児方針には驚かされてしまう。

 もっとも、アリクイたちは我が子のしがみつく力がとても強いことを知っている。多少激しく運動したところで、子どもが母親の背中からうっかり落ちてしまう心配はない。そうして子どもを信用すればこそ、母親も生活スタイルを変えたりはしないわけだ。

 キタオポッサムもまた、幼少期を母親にしがみついたまま暮らす。オポッサム科に属する動物はとりわけ後脚を器用に扱うことができる。人間が手の親指でモノをつまみ上げられるように、オポッサムの後脚には、他の指と向かい合わせてくっつけられる指が備わっているからだ。

 両手両足で母親にしがみつけるので、バランスの維持も容易い。やはり滅多なことでは母親の背中から振り落とされたりはしないだろう。

 なおアリクイ科は基本的に1匹しか背中に乗せないのだが、キタオポッサムは10匹以上を背負うことも珍しくない。すし詰め状態で母親の背中を占領している子どもたちの姿はどこかユーモラスにも映る。

 だが実際は重労働に違いない。自重と大差ない重みに背中を押し潰されながら、それでも彼女たちは何食わぬ顔で日常を過ごしている。母の強さを感じさせられる出来事だ。

両手両足でしっかりと枝を掴んでバランスを取るキタオポッサム
後脚でも枝をしっかりと掴めるため、樹上から落下する心配はない
(photo by:Melissa McMasters)

生き急いで速やかに寿命を終えるネズミのような暮らしぶり

 キタオポッサムはしばしばネズミと混同される。尖っている鼻筋や、毛に覆われない剥き出しの長い尻尾がネズミを思わせるのだろう。

 繁殖力の強さも、両者と共通している特徴だ。ハツカネズミは年に数回の出産を迎え、1度に十数匹も産むことがある。また妊娠期間は3週間とかなり短い。寿命はおよそ1~2年しかないが、その間に繁殖へ精を出してたくさんの子を送り出している。

 キタオポッサムも年に最大3回の出産を迎え、1度に平均9匹ほどの子を産む。なお多ければ20匹以上も産むこともあり、最多記録では25匹の子を産んだ母親もいたそうだ。また妊娠期はネズミよりも短く、わずか2週間で出産を迎えるのだという。さらに驚かされるのが、寿命もネズミ同様に1~2年ほどしかないことだ。これは体の大きさや代謝率から考えると異様なまでに短い。たとえば同サイズのアライグマであれば、その寿命は5年ほどになる。

 もしかするとキタオポッサムは生きることを諦めたのかもしれない。彼らの周りには天敵があまりにも多く、寿命をまっとうすることは難しい。コヨーテ、キツネ、ボブキャットは自分よりも大きくて俊敏な強敵だ。空を仰げばタカやフクロウが目を光らせている。うっかり水場で油断してしまえば、ワニやヘビが襲いかかってくる。

 どうせ食われてしまうならば、長寿を目指すよりも生きている間のリソースをすべて繁殖へ注いだほうが効率的だ。そう考えたのか、キタオポッサムは子育てで命を燃やすような生き方をするようになった。多くの子を産み、出産の周期も早く、成長速度もかなり早い。

 そのどれもが寿命を削るような生理現象であり、彼女たちがネズミと大差ないほどの繁殖率を誇っているカラクリにもなっている。しかしその代償として、キタオポッサムは理想環境下でもすさまじいスピードで老化が進むようになり、生理的に長生きができなくなってしまった。


 ただし例外もあるようだ。サペロ島で暮らしているキタオポッサムは寿命が4年ほどとかなり長い。これはサペロ島が”孤島”であることに理由があると考えられている。

 サペロ島は約4000年前に米大陸から分離した離島だ。海で隔離されているため本土から動物が侵入してこれず、また島内の肉食動物も絶滅してしまった。つまり天敵がまったくいない土地であり、キタオポッサムも寿命をまっとうしやすい環境でもあったわけだ。

 おそらく彼らは、早い段階で自分たちが安住の地を手に入れたことに気づいたのだろう。そうして繁殖に費やすはずだったリソースを生命維持に回して、長期的に繁殖を進めるプランに移行したのかもしれない。

 彼らの適応力は、環境に応じて寿命すら変えてしまうほど高かったわけだ。しかも4000年という進化のスケールでは極めて短期間において、その寿命を2倍まで延ばしたというのだから、その速度感にも驚かずにはいられない。

生まれて数秒で生存競争に放り込まれる早熟な子どもたち

 キタオポッサムほど『九死に一生を得る』という言葉が似合う動物もいないだろう。何を隠そう、彼らは野生下において10匹に1匹しか大人になれない。9匹は死に、1匹だけが繁殖の権利を勝ち得るわけだ。

 生存競争は生まれて数秒ですでに始まっている。母親は袋の中で新生児を育てるのだが、袋までたどり着ける子どもは通常4~7匹しかいない。もし袋にしまってある乳首に吸いつけなければ、子どもたちは母乳を飲めずに死んでしまう。

 残酷なことではあるが、キタオポッサムの新生児はその多くが途中で力尽きてしまう。生まれた直後に生きる力を試されるという、過酷な運命を背負わされているわけだ。

 その原因は”有袋類”の在り方にある。オポッサム科の動物は胎盤を持つものの、機能は未熟なので、お腹の中で子どもを育てきることができない。早めに出産して母乳で育てる必要があるため、子どもは未熟な状態で生まれてくる。

 新生児の大きさはわずか14ミリしかない。これは乾燥した米粒を3つほど並べた長さになる。体重は0.13グラムであり、こちらは米粒5つくらいに該当する。

 しかし母乳にありつけさえすれば、子どもたちは著しい成長を遂げていく。袋の中で乳首に吸いついたまま2か月ほど過ごせば、ハツカネズミほどの大きさに成長できる。

 その後、袋から出てきた子どもたちは、母親に背負われながら生活するようになる。ちなみにキタオポッサムのメスは乳首を13個も備えているため、理論上、13匹の子どもを背中に背負うことができる。できるだけ多くの子に生き残ってほしいという母親の願いが数に表れているようで、微笑ましくもある。

 生後100日間にもなると、子どもたちの体重は130グラムを超えていく。母親は1000倍に増えたその重みを喜ぶように、子どもたちを背中に乗せたまま暮らしていく。そして子どもたちもまた、母親の背からオポッサムの暮らし方を追体験して、生きるためのスキルを学んでいく。

 生後4か月では早々に親離れして、若者たちは寿命に急かされるように繁殖の準備を進めるようになる。生かすために産み、産むために生きる。キタオポッサムが延々と繰り返してきたそのサイクルを受け継いで、彼らも忙しなく生きていくのだろう。

どこにでも現れてなんでも食べる適応力に満ちている動物

 先の話題で、天敵がいない状況では寿命すら変化させてしまうという、サペロ島の例を出した。その適応力の高さは米大陸の本土においても申し分なく、キタオポッサムはあらゆる土地へ侵略を果たしている。

 主に森林を好むが、平野、湿地、高山地帯、果ては砂漠までどこにでも現れる。しいて言うならば寒さに弱いが、近年ではむしろ北方に生息域を広げているという話もある。これも温暖化という環境変化をいち早く利用している結果なのだろう。

 キタオポッサムは都市部でもよく見かける。都心はエサの宝庫だ。彼らは栄養がある物を見つけては、それがなんであれ胃に入れてしまう。鳥の餌箱や動物用の食器からペットフードを奪ったり、腐りかけた果物を見つけたり、さらには生ゴミを漁ってチキンやポテトにも舌鼓を打つ。

 野生下ではバッタやカブトムシなど昆虫をよく食べる。またその過程で見つかるミミズやナメクジも食べている。どうやらエサを選り好みしない性質は、野に下っても同じことらしい。ウサギの子どもやネズミ、鳥、トカゲなど、やや大きな獲物も捕まえて食べてしまう。

 水辺で魚、カエル、ザリガニを物色する姿も目撃されている。動物たちを悩ませるダニすらも、キタオポッサムにかかればエサと化してしまう。毛づくろいついでに腹も満たせるのだから、これ以上なく効率的な食事となるだろう。

 意外なところではガラガラヘビやマムシを狩ることもできる。大きなヘビは危険な相手だが、単に毒を持つヘビであれば問題にならない。キタオポッサムはヘビ毒に耐性があるため、一方的に攻撃を加えられるのだ。

 秋から冬にかけては植物食で凌ぐことも多い。リンゴ、ベリー、ドングリ、野菜や球根などを、やはり節操なく食べて回る。彼らは雑食性であり、およそ目につくエサはすべて口にしてしまう。この食の太さがあってこそ、短い寿命もまっとうできるのだろう。貪欲に生き永らえようとする姿勢には、見習うものがあるのかもしれない。

戦略的な”死んだふり”で敵を欺いてきた演技派の動物

 キタオポッサムは身の危険を感じても、その場に留まることが多い。たとえば敵に襲われた場合は、顎をカチカチ鳴らし、シューという音を立てて威嚇するだけで逃げようとはしない。

 その威嚇は見るからに恐ろしく、効果は絶大だ。なにせキタオポッサムには歯が50本も生えている。これは北米で暮らす陸上哺乳類の最多本数であり、見た目のインパクトもひとしおだ。ちなみにアライグマでは40本ほどと、同じ雑食性の動物とは思えない本数差が生じている。

 キタオポッサムは顎の可動域も広いため、口をあんぐり開けてびっしり生えた歯を見せつけることができる。威圧感たっぷりだ。よだれを垂らして興奮を示したり、毛を逆立てて怒りを露わにすれば、相手にかかるプレッシャーもさらに重みを増すだろう。

オポッサムの頭蓋骨。可動域の広い顎を開けて、大量の歯を見せつける
オポッサムの頭蓋骨。顎を大きく開けてたくさんの歯を見せつける
(photo by:Katie Collins)

 だが、彼らが実際に反撃へ転じることはあまりない。小型犬を追い回している姿も目撃されているが、それもしつこく付きまとわれた末での反撃であり、基本的にはジッと動かずに相手の動向を見守ろうとする。

 そうして相手が退かないことを察すると、彼らはついに奥の手を用いる。オポッサムの名物、”死んだふり”である。

 彼らの演技は堂に入りすぎていて、本物の死体よりも死体らしくみえる。目と口を半開きにして、舌をでろんと出しっぱなしにするその様子は、まるで死相が浮かんでいるようだ。

 ぐったりと横たわった体は1ミリたりとも動かない。心拍数も約半分まで低下し、呼吸も小さく浅くなるため、動作から死んだふりがバレる心配もない。さらにオプションで肛門から液体を垂れ流せば、腐敗臭すら漂わせることができる。

 キタオポッサムの演技は完璧だ。傍目には、本当に死んでいるようにしか見えない。たとえ突かれても噛みつかれても、持ち去られても仮死状態を維持し続けるため、襲いかかってきた敵もやがて興味を失くして去っていく。

 肉食動物は新鮮な肉を好む傾向にあるため、死んだふりを見せられると嫌悪感を抱くのかもしれない。腐っていたり病気を患っているように見せかけて、その肉を喰らうことを躊躇わせるのだ。

 キタオポッサムの死んだふりは不随意な反応であり、つまり自分の意志とは無関係に起こる。たとえるならば失神に近い。恐怖を覚えると、彼らの体は速やかに仮死状態へ移行する。

 なお彼らは自動車の勢いに驚き、死んだふりを”してしまう”こともある。これは極めて危険な状況だ。次の車がやってくれば轢かれかねない。演技がうますぎるのも考え物だろう。

 また、子どものオポッサムは死んだふりができないことも多い。これは生理的な条件が整っていてこそ扱える特技であるため、まだ発達中の子どもには使いこなせないのだ。

完璧に死んだふりをできる大人は、意識を取り戻すまで約4時間かかることもあるのだという。臨死体験から復帰すると、彼らは何事もなかったかのように歩き出す。引っ掻かれようが噛まれようが、命さえあれば問題ないと言わんばかりだ。敵を騙してやり過ごす演技力を磨きに磨き、キタオポッサムは死にながら生き残ってきたのだろう。

死んだふりをするキタオポッサム
死んだふりをするキタオポッサム。欧米では「ポッサムごっこ」ともいわれる
(photo by:Tony Alter)



参考動画




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