ツノが激突する1時間の死闘!アルプスアイベックスのオスが重んじる厳格な階級ルールとは

photo by:PxHere
アルプスアイベックス(Alpine ibex)
分布:ヨーロッパ
生息域:
体長:55~135㎝(頭~胴)、15~29㎝(尾)
体高:65~95㎝
体重:40~120㎏

100頭から5万頭へ奇跡の復活を遂げた再生の象徴、断崖絶壁で天敵を遠ざける

 かつてアイベックスは絶滅の危機に瀕していた。人間に乱獲され続けたことで、19世紀には個体数が100頭まで減ってしまったのだ。

 このアイベックス―――アルプスアイベックスは、しかし今日では50000頭にまで回復している。イタリアで保護区が制定されてからというもの、順調に数を増やし、やがてヨーロッパ全土へ再導入されるまでに至ったのだ。こうした背景もあり、今日のアイベックスは「再生の証」として扱われることもあるのだという。

 アイベックスはなぜ個体数を回復させられたのだろうか。

 狩猟者の手から守られたことも大きいが、やはりそれ以上に、彼らが山の暮らしに慣れていたことも大きい。どうすれば天敵を遠ざけられるのか、エサを得られるのか、厳しい気候を耐えられるのか…。彼らはすべてを知り尽くしていた。

 その前提条件があったからこそ、適切な環境を与えられただけで数をみるみる増やしていったのだろう。


 アイベックスは高山地帯で暮らしている。ただし緩やかな勾配の草原よりもむしろ、傾斜のキツイ岩場を好むようだ。

 特にメスは、足を踏み外せば数十メートルと落下しかねない、断崖絶壁に身を置くことが多い。これはおそらくオオカミやアカギツネといった天敵を避けるためだ。

 もし肉食動物と遭遇したとしても、垂直に近い岩盤にへばりついていれば安全だ。無理に飛びつけば数十メートルと落下してしまい、最後は硬い岩場にからだを打ちつけて絶命してしまう。獲物を得る対価が自分の命では割に合わないため、肉食動物はわざわざ危険を冒してまで高地へやってくることはない。

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 アイベックスのオスも狩るには適さない相手だ。巨大なツノで崖から突き落とされてしまえば、やはり命はない。そもそも、ツノの衝撃で頭蓋骨を割られてしまうおそれすらある。あまりに危険すぎて、手を出す気にもならない。

 こうして危険な岩地をむしろ防壁として用いることで、アイベックスは天敵を克服した。敵から襲われる心配がなければ、食事に専念することができる。そしてその成果を繁殖につなげれば、危なげなく数も増やせるというわけだ。

塩分を求めて垂直の崖を登ろうとする母子、1時間以上もツノを打ち合い序列を競い合う雄

 動物の世界では、オスとメスで姿や大きさに差が生じることも珍しくない。アイベックスではそれが顕著で、雌雄の体重差が2倍に達することもある。

 体はもちろん、ツノの大きさがかけ離れていることも理由のひとつなのだろう。オスのツノは最102㎝に成長する。メスは35㎝。同じ動物とは思えないほどの差がある。


 おもしろいことに、アイベックスは性差がそのまま行動にも現れる。メスは身軽さを活かして曲芸に準じようとする。オスはその体躯を活かして闘争に身を置いている。

 メスの役割は子育てにある。子供を安全な場所へ導くとともに、食事も用意してやらなければならない。急斜面の岩場を好むのも、子供を天敵から守るためだろう。

 アイベックスの足裏にはゴムのような質感の肉球が備わっている。これを岩の突起に押しつけてやれば、肉球が変形して岩を包みこみ、鍵を鍵穴へ挿したかのようなフィット感で脚を固定することができる。

 また、アイベックスのひづめは分割されており、それぞれの指を器用に動かせるようになっている。岩の形に合わせて指を動かしてやれば、安定した角度から岩を掴んで、体のバランスを整えられる。

 こうして彼女たちは岩にへばりつき、時には強引に崖を登っていく。命がけには違いないが、登山の準備はしっかり済ませてあるため、危なげもなく移動を続けていくだろう。


 それにしても母親はスパルタで、わが子を甲斐甲斐しく世話したりはしない。急な崖を降りるときでさえ、安全なルートとその通りかたを実践してみせるだけで、からだを支えてやるといった手助けまではしない。

 むしろあえて過酷な道を進むこともある。もはや垂直と思える切り立った崖を登るのだ。

 目的はおそらく栄養補給にある。アイベックスは完全な草食動物ではあるのだが、実は草を食べるだけでは必要な栄養を満たせない。ナトリウムをはじめとする塩分を余計に摂っておかなければ、神経症を患ってしまう。

 だから母親は子供の栄養を気遣って、誰も登らないような崖へ誘導しようとする。高所にある岩の表面には、そこに積もった雪が解けて塩分だけが残されることも多い。しかも過酷な地形で守られているため、誰かに盗られる心配もない。命の危険があるという一点を除けば、これ以上ないエサ場となってくれる。

エサ場の草地も急斜面だが、崖に比べるとまだ優しい
(photo by:Björn S...
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 アイベックスのオスにも目を向けてみよう。彼らは彼女たちと違い、闘いに身を投じている。メスにくらべて大きな躯体、そして見るからに立派なツノはどちらも飾りではない。

 彼らはオス同士、絶えず争いを続けている。アイベックスの世界は厳格な階級制度が定められており、みな頂点を目指して実力を競わせている。

 とはいえ弱い者いじめを楽しむ趣味はない。同じ実力同士でしかグループを組まず、それぞれの立場から実力を確かめ合っている。若いオスが熟練のオスに崖から蹴落とされて命を落とす、といった悲劇はまず起こらない。


 争いの内容も堂々としている。1対1で対峙して、お互いを傷つけないようにタイミングを合わせてツノを打ち合う。片方が前脚をピョンと宙に投げ出したならば、もう片方は頭を低く下げて衝撃に備える。ツノを上からぶつける側と、それを下から受け止める側に分かれ、正確なタイミングでツノをぶつけ合うためだ。

 決着がつかなかった場合は、両者とも姿勢を整え、またツノを突き合わせながら機をうかがう。こうしてにらみ合う時間も考慮すると、1試合に1時間以上かかることもあるのだという。

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 この順位争いは、繁殖期よりもむしろ他の時期でよく見られる。メスにアピールしようという時期に、オス同士で乳繰り合っている暇はない。あらかじめ自分の実力を周りのオスに知らしめておけば、邪魔されることなくメスを口説きに行けるというわけだ。日常的にケンカをしかけているのは、将来の手間を省くための戦略なのだろう。

ツノに刻まれた年輪は飢餓と酷寒に耐え抜いた証、夏は日差しを避けて洞窟でやり過ごす体温調整の術

 ツノを大きく育てるためには当然、栄養がたくさん必要になる。特に生まれてからの2年間は重要だ。ツノは生え変わらず生涯をかけて成長していくのだが、生後2年目がもっとも成長率が高くなる。もし栄養状態が悪いまま幼少期を過ごしてしまえば、ツノも大きく育たないおそれが出てくる。

 事実、幼少期にツノが大きい個体は、成熟後も大きなツノを持っていることが多い。個体差もあるだろうが、食事の量がそのまま強さを決めることもままあるわけだ。

大きいだけでなく形も美しい。三日月形を思わせるツノは、さらに半月状にまで成長することもある(photo by:Rémi RUFER)

 それゆえにオスは―――メスもそうなのだが、1日の大半を食事にあてている。イネ科植物が好みらしく、地面に向かって首を伸ばして、ひたすら草を胃に収めていく。そして満足すると草むらに横たわり、休憩しながら「反芻」するのだという。

 反芻とはウシ科に属する動物が備えている特性で、一度食べた食物をふたたび口に戻し、また咀嚼しなおす行動をいう。アイベックスはウシ科ヤギ属の動物だ。反芻の特性もしっかりと受け継いでおり、リラックスしている時はしきりに口をモゴモゴさせている。こうして草からエネルギーを最大限に引き出して、彼らはすくすくと育っていく。


 だが山の天候は変わりやすいもので、年間を通して理想的な食事をとることは望めそうにない。夏は高温と日差しが災いし、彼らも食欲を減退させてしまう。より標高が高い場所へ移動すれば涼しく過ごせるが、それだけでは完璧な対策にはならない。

 本音を言えば日中はすべて食事にあてたいところだろうが、彼らは日差しを避けるために食事の手を止める。昼間は洞窟や茂みで隠れて過ごし、暑さが和らぐ夕方ごろになるとようやく食事をはじめるのだ。


 冬も苦しい季節だ。-30度まで冷え込むこともあり、雪であたりも白く染まってしまう。雪は植物を覆い隠してしまい、また植物の成長を妨げもする。物理的にエサの量を減らしてくる厄介な存在となるだろう。

 事故も恐ろしい。どこも雪で滑りやすくなるので、断崖や急斜面には近づけなくなってしまう。あるいは雪崩に巻き込まれ、そのまま命を落とす危険もある。

 この過酷な季節にあってなお、アイベックスは冬眠という選択をしない。代謝を限界まで抑えるので半冬眠状態にはあるものの、雪を掘り起こしてわずかな草を食んだり、低木から葉や樹皮をはがして食べたり、なんとか食いつないていこうとする。


 とはいえ、さすがにからだを成長させる余裕まではないらしい。彼らの体重は冬になると、夏に比べて20%も減少するのだという。また、ツノの成長も止まってしまう。他の季節とは成長率が異なるため、このズレは年輪という形でツノにも刻まれる。厳しい冬を耐え抜いたという証が、ツノに残り続けるわけだ。

熟練のオスが繰り広げる繁殖期の激しい攻防、若きオスの奇策とフレーメン反応が織りなす春の熱狂

 なんとか雪深い時期をやり過ごすと、彼らには恵みの季節が訪れる。そしてその時期に合わせて子育てを始められるように、メスは12月頃からはやくも発情期を迎えはじめる。オスにとっては待ちに待った瞬間だ。普段は別々に暮らしている異性たちは合流し、いよいよ苛烈な繁殖期がはじまる。


 アイベックスの群れには4つのパターンがある。1つは熟練した、実力あるオスたちが集まるグループだ。彼らは繁殖期に向けて階級争いをして、いち早くメスにアピールしようとする。

 2つ目は若いオスのグループで、まだ実力が伴わないものが集まっている。そして3つ目はメス同士で集まるグループであり、ここには母親が連れ歩く子供たちも含まれる。

 4つ目。最後の群れは繁殖期にだけ見られる、雌雄混合の群れだ。実力あるオスがメスの群れに飛び込み、そこから好みのメスを1頭選んでアピールを重ねる。


 オスは1度に1頭のメスにしかアピールできない。そのメスを他のオスに奪われないように警戒する必要があるため、他のメスにアピールする余裕はないのだ。当然、食事に割く時間もなく、メスを狙って挑みかかってくるオスを次々と返り討ちにしなければならない。

 オスにとっては、言うまでもなく過酷な時期である。鍛え上げたツノを試せる絶好の舞台とはいえ、連戦はさすがに堪える。

 しかも、基本的には騎士道を重んじた試合運びとなるのだが、時には試合中に背後から突進してメスをかすめ取ろうとする、不届きな第3のオスが現れることもある。実力だけでなく対応力までも求められ、オスは体力も精神もすり減らしていく。

繁殖期はさすがに勝利を優先する。有利な上側へ陣取ったり、ツノで顔をはさんでねじ伏せたりもする。(photo by:Pixabay)

 オスの勝利条件は、メスが自分を受け入れてくれるまで耐えること。時折、唇を突き出してメスに歯茎を見せびらかすのだが、これはメスの状態を確認するために行う。

 フレーメンと呼ばれるこの表情は、空気中の成分を口の中に取り込み、その”におい”を味わっているときに現れる。メスが発情した際に発するにおいを正確に嗅ぎ取るべく、鼻だけでなく口でも嗅覚を発揮しようとしているのだ。

 こうしているうちにメスの準備が整うと、オスは舌を突き出してベロベロと動かしたり、前脚を蹴りだしてみたり、メスに激しくアピールするようになる。これを見たメスは、ライバルとの試合内容にも満足したのであれば、そのオスを受け入れる。

 メスがオスに背中を預け、ついに交尾が終わると、それぞれのアイベックスは元の群れへと戻っていく。疲弊したオスはしばしの休憩をはさむと、また別のメスにアピールすべく、群れを抜け出していく。

2年にわたる爆発的なツノの成長期、メスや子供までも闘志を燃やし順位を争う不屈の精神

 熟練のオスたちが闘いを繰り広げる中、その渦中に飛び込むことができない者たちもいる。若いオスたちだ。彼らは熟練のオスに比べると体格も実力も乏しく、とてもではないが真正面からツノを打ち合うことはできない。

 だがそれでもメスを求める本能は隠せないらしい。闘えないのであれば闘わなければいいと言わんばかりに、彼らは奇策を打ってメスに近づこうとする。

 オスがアピールできるメスは同時に1頭だけ。つまりメスを選り好みしなければ、熟練のオスがいない隙にメスと交流することも可能なのだ。運よくメスに受け入れてもらえれば、若いオスでも交尾の権利を得られることがある。


 しかし若いオスの本能は、時に悲劇を引き起こしてしまう。まだ発情を迎えていないメスであっても、彼らはお構いなしに詰め寄ろうとするのだ。しかもすべての若いオスが同じように異性を求めるものだから、そのメスはもみくちゃにされて身動きが取れなくなってしまう。

 相手が若いオスであろうと、メスではどう頑張っても体格差は覆せない。ツノを振り回してオスをどかそうとしても、それは無駄に終わるだろう。

 となると隙を見つけて囲いを突破するしかないのだが、それはすべてのオスを相手にした追いかけっこが始まることを意味している。最悪、勢いづいたオスに押されて体勢を崩し、岩に体を打ち付けてしまうかもしれない。運のないメスは怪我をしてしまい、まだ明けない冬を、痛みとともに過ごさなければならなくなる。


 こうした若気の至りに巻き込まれたくなければ、メスもある程度の地位を保たなければならない。熟練のオスから選んでもらえるほど魅力的なメスであれば、そのオスに守ってもらい、若いオスにも巻き込まれずに済む。

 実はオスほどではないが、メスもメス同士でツノを突き合わせて順位を争うことがある。繁殖期を避けて争う、という点も同様だ。子育てに向けて栄養を蓄え続けるのもよいが、上を目指そうという気概もまた、メスには必要なのかもしれない。

 あるいはオスもメスもそうした”負けん気”を備えていたからこそ、アイベックスは絶滅を免れたのだろうか。

メスも、さらには子供もツノをぶつけ合って順位を競う。アイベックスは老若男女を問わず闘い続ける生き物なのだろう(photo by:garten-gg)


参考動画