氷河期から現代までを泳ぎ抜いた奇跡のモグラ、絶滅の淵でひっそりと潜り続けるピレネーデスマンの真実

泳ぐピレネーデスマン
(photo by:Joxerra Aihartza.)
名称(学名)
ピレネーデスマン(Galemys pyrenaicus)
分類
真無盲腸目 モグラ科 ピレネーデスマン属
分布
スペイン、ポルトガル、アンドラ、フランス(ピレネー山脈)
生息地
運河、湖、湿地
体長
11~14㎝(頭~胴)、12~16㎝(尾)
体重
35~60g

流水に潜る異色のモグラ、水底の狩猟に適応したピレネーデスマンの身体構造

「デスマン」という名前には聞き覚えがなくとも、その親戚には馴染みがあるはずだ。何を隠そう、デスマンはモグラの一種であり、主に高山帯の水辺で暮らしている。もっとも、デスマンはかなりの変わり種だ。なにせ土ではなく水に潜るのだから。

 面白いことにデスマンは、モグラの体が水中生活に適していることを、身をもって証明してくれている。ずんぐりとした体型は水に浮かびやすく、全身が毛で密に覆われているおかげで、冷水に体温を奪われることもない。モグラ同様、視力はほとんど退化しているが、代わりに長く伸びた「鼻」で、周りの状況を感知することができる。たとえば鼻先に生やしているヒゲで、水流のわずかな変化を察知し、獲物の動きを捉えることができる。

 よく発達した手足もモグラを彷彿とさせる。手足の指は太く、その指先には頑丈な爪が備わっている。土を掘り進めるモグラらしい、頑健な指だ。ただしデスマンの手足は土を掘るのではなく水を掻くことに特化しており、とりわけ後足の大きな水かきが、効率よく水を押しのけられるようになっている。そうして水底まで素早く潜り、岩陰に潜んでいる昆虫を探り当てるのだ。


 水生の哺乳類はそう珍しいものではない。昆虫を主食にする哺乳類もやはりよく見られるものだ。しかし、この2つを同時に備えている哺乳類は稀であり、デスマンもまた、水生昆虫食という稀有な特性の持ち主と言える。

 だがニッチな環境に適応してきた結果、デスマンは生息域を広げることができなくなり、歴史的にも多くの近縁種が絶滅してしまった。現代において目撃情報があるデスマンは、わずか2種しかいない。

 現生種のひとつであるロシアデスマンはモグラ科最大の動物であり、体重が500グラム以上になることもある。ヨーロッパにほど近いロシア領に生息しており、濁った水でも躊躇なく飛び込み、貝やザリガニを捕まえて食べている。

 ヨーロッパ地方で細々と暮らしているのはピレネーデスマンだ。たとえばフランス、スペイン、アンドラの3か国にまたがるピレネー山脈の水場でひっそりと暮らしている。ロシアデスマンと比べて体の大きさが10分の1程度しかなく、酸素が豊富できれいな水にしか姿を現さないという違いもあるそうだ。その性質上、ピレネーデスマンは水質を測るための環境指標としても注目されており、近年では保護活動の対象にもなっている。

水中で機能するトランペット状の鼻、ヤコブソン器官が司る驚異の嗅覚システム

 デスマンがモグラの親戚であるという証拠は、その「鼻」を見れば一目瞭然だ。特にピレネーデスマンは「トランペットネズミ」と呼ばれるほどの鼻―――長くて先端がトンカチ状に膨らんでいる、奇妙な鼻を持っている。

 ちなみにデスマンの鼻は、ゾウの鼻と同じように鼻と上唇が融合した構造になっていて、柔軟に動かせるようになっている。たとえば鼻先を上に曲げて、鼻の穴だけを水上に出したまま泳ぐことができる。忍者が竹筒を咥えたまま水中を移動していくように、デスマンも鼻をシュノーケル代わりにするわけだ。

鼻だけ水面に出して呼吸するピレネーデスマン
鼻腔が上向きになっているため、ピレネーデスマンは水中で鼻呼吸することができる。(photo by:David Perez)

 見た目そのままに、デスマンの長い鼻は「嗅覚」も優れている。曰く、水中5センチ以内であれば、獲物のにおいを高い確度で嗅ぎ取れるのだという。石や砂利の下にエサとなる水生昆虫が隠れていないどうか、においを嗅ぐだけで判断できるわけだ。

 この卓越した嗅覚は「ヤコブソン器官」によるものだ。これは鼻とは独立してにおいを感知できる器官であり、口内に引き入れた化学物質の濃さを判断するために用いられる。たとえばネコやウマが歯茎を剥き出しにして変顔をするのも(フレーメン反応)、ヤコブソン器官にたくさんの空気を送る目論見がある。

 ただしデスマンのヤコブソン器官は少し特殊で、哺乳類よりもむしろ、魚類や爬虫類が備えているものに近しい。ヘビがチロチロと舌を出し入れするだけで正確ににおいを判別できるように、並みの哺乳類よりもはるかに優れた「嗅覚」を発揮できるのだ。

 さらにデスマンは、水中で泡を吐き出すような行動を見せることがある。この行動の詳しい目的はわかっていないが、「水中のにおいを嗅いでいる」という説が濃厚だ。特殊なヤコブソン器官を活躍させるために、「フレーメン反応の水中バージョン」を編み出したのではないか、と囁かれているのだ。

 水中で獲物が放っている化学物質を飲み込んで、ヤコブソン器官に取り込んでいるという理屈は、なるほどデスマンの優れた嗅覚をうまく説明しているように思える。

クジラに匹敵する空間認識能力、小脳の発達がもたらした脳内地図の構築

 デスマンの鼻の魅力は嗅覚だけに留まらない。むしろモグラ類として最もユニークなのは、この鼻を触覚器としても極限まで発達させたことにある。

 デスマンの鼻先には「アイマー器官」と呼ばれる、非常に微細な感覚器官が密集している。これはモグラの仲間が土中で獲物を探すために備える特別な触覚センサーだ。土中に暮らす多くのモグラでは、このアイマー器官を使って土や砂利のわずかな振動を察知する。「モグラは地震を予知できる」と噂される由縁だ。

 デスマンもこれを受け継いでいるが、彼らは水底を探るためにこの器官を活用している。鼻先を岩の下や砂利の中へ差し込み、水流のわずかな変化や、獲物が発する微細な振動を捉えるのだ。特に、鼻先に生えた鋭敏なヒゲがセンサーの役割を果たし、視力が衰えたデスマンの「目」として機能している。人間は暗がりを手探りで進んでいくが、デスマンは水中を”鼻探り”で潜っているわけだ。

ピレネーデスマンは目が小さい
目が退化しており非常に小さい。その反面、鼻やヒゲはとても大きく(長く)発達している。(photo by:David Perez)

 たとえ濁った水や暗闇の中でも、この高感度な「鼻」一本で環境を立体的に把握し、岩陰から流れてくる獲物のにおいまで、全てを読み取ることができる。こうした知覚情報を処理すべく、デスマンの脳は触覚や嗅覚に関わる領域がより効率的に発達した。たとえば、鼻と一部の脳領域は神経構造が一致しているのだが、これは「鼻の感覚」と「脳の処理」が高いレベルで結びついていることを意味している。

 実際、デスマンの小脳は同サイズの哺乳類と比べて、異様なまでによく発達している。体のサイズに対する小脳の比率が、クジラに匹敵するほど大きいのだ。クジラもまた、目印が一切ない大海原で迷うことなく泳ぎ続けることができる、優れた空間認識能力の持ち主だ。小柄なデスマンが迷わず水中を潜り続けるためには、クジラのように小脳を発達させ、上下左右をしっかりとマッピングする必要があったのだろう。


 なおデスマンは、鼻で触れて水路の形状を確認しながら、その情報に基づいて、脳内に「地図」を描くこともできる。その地図に従って泳いでいけば、わざわざ周囲を鼻でつつき回す手間も省けるというもの。脳内の記憶だけを頼りに、頭の地図と現実を重ね合わせることで、デスマンは効率的に水中を泳いでいる。

 この特異な感覚処理能力は、彼らが進化の過程で「目」を捨てた代わりに、「鼻」を多機能センサーへ進化させた証と言えるだろう。水生昆虫食というニッチな生き方を確立させるために、モグラの祖先が持っていた能力を水中で最大限に開花させ、高い知性と独自の感覚世界を築き上げたのだ。

激流に潜む水生昆虫を追う狩人、浮力に抗いながら繰り返される潜水の理

 流れる水が岩に打ち付けられて水柱を立てる。穏やかながら流れがある河川は、デスマンにとって打ってつけな狩場だ。流水は冷たい水温を保ち、さらに酸素も豊富に運んでくれる。これは水生昆虫にとって理想的な環境であり、デスマンもまたこうしたエサを求めてやってくる。

 水生昆虫は見つけやすくて栄養も豊富な素晴らしいエサで、とりわけカワゲラの幼虫やカゲロウの幼虫はデスマンの好物になっている。たとえ石の陰に潜んでいたとしても、デスマンの鋭い感覚をもってすれば見つけることは容易い。大きさも申し分なく、見失いづらいので狩りを成功させやすく、お腹も満たしやすい。

ピレネーデスマンの主な獲物(トビゲラの幼虫)
画像はトビゲラの幼虫のもの。ピレネーデスマンが主食とする水生昆虫の一種だ。(photo by:US Geological Survey)

 デスマンは水を飲んでも大丈夫なように喉に”蓋”のような器官をもっているため、水中で口を大きく開けても窒息することはない。鼻腔と耳を閉じて水没を防ぎながら、弾丸のように水底めがけて進んでいく。

 水の冷たさを対策するのは毛皮に任せている。密に生えた下毛は空気をとらえて空気層を作り出し、肌に水の冷気が伝わらないように守ってくれる。さらに上毛には油がまぶしてあるため、水を弾いて抵抗を減らすこともできる。

ただしデスマンの毛皮には裏目もある。空気層が”浮き輪”のようにはたらき、水中で体が浮き上がりやすくなるのだ。手足を忙しなく動かさなければ水底まで潜ることは叶わず、前脚で岩を掴んだままバタ足を続けなければ、水底に留まれない。自然と潜水時間も短くなり、20秒ほどの潜水を何度も繰り返すことになる。

 せわしなく体を動かすと疲労も溜まるのだろう。デスマンは潜水の合間に、頻繁に休憩を取ろうとする。岩場に上がるとグルーミングを始め、毛並みを整えて空気層が保たれるようにしている。また、腹部の腺から油性物質を分泌して毛に塗りたくることも忘れない。そうして調子を万全に整えると、再び水に潜り始める。体力と毛並みが続く限り、水生昆虫を捕まえ続けるのだ。


 デスマンは水生昆虫を主食にしているが、機会さえ与えられれば何でも食べる。水場に近づきすぎた陸生昆虫やエビなどの節足動物も見逃さず、他にも貝やカタツムリといった軟体動物を食べることもある。胃の内容物からはチョウやトンボ、コオロギ、クモ、ミミズなど、実に多くの獲物が発見されているそうだ。

 旺盛な食欲を満たすべく、デスマンは活発な行動を見せる。二峰性(長時間活動を1日2回行う)であり、特に深夜は、なわばりのパトロールもかねて平均8時間ほど泳いで回る。最大7か所の休憩場所を用意しておき、休息を取りながらエサ探しに勤しむ。水場の豊かさも大事だが、地上の隠れ家も重要なのだ。

 水を得たデスマンの動きには特筆すべきものがあるが、その反面、地上での動きは鈍くなりがちだ。大きな水かきと重たい尾が邪魔になるのか、地上では体を引きずるように進んでいく。またモグラの仲間でありながら、土を掘るのがあまり得意ではなく、巣穴を自力で掘ることはない。岩の隙間に潜んだり、ミズハタネズミの巣穴を改造して使用している。

 休憩も欠かせないルーチンである以上、デスマンは地上にもいくつか拠点が必要となる。実際、彼らはなわばりを数百メートルにわたり広げ、各所に休憩拠点を設けている。

 もっとも、なわばり意識はほとんどないようで、見知らぬ相手に対して声を発することはあるが、攻撃まで発展することはない。むしろ空間を共有することもあり、1つの休憩拠点を複数のデスマンが利用しているケースもある。争っている暇があれば、せっせと水に潜って獲物を捕まえたいのだろう。デスマンは平和的に互いを避けながら、水場と地上を行き来している。


清流の守り手としてのアンブレラ種、環境変動の荒波に晒される生存の境界線

 はるか昔から、デスマンは生息域を奪われ続けてきた。氷河期が訪れるたびに移動を余儀なくされ、生息圏が断片化していった。現代においても、川が凍り付くほど寒い場所で暮らしているデスマンが見つかる。真冬が訪れると低地へ降りてきて冬を過ごそうとする。冬眠せずにエサを食べ続けるため、豊かな水源を捨てて他の場所で耐え忍ばなければならないのだ。

 かつてヨーロッパ大陸に広く分布していたデスマンたちも、氷河期に追いやられるように生息域を縮めていった。やがてイベリア半島の山脈地帯にまで追いやられ、そこでひっそりと暮らしていた。最後の氷河期を迎える頃には高山帯や瀬での狩りに完璧なまでの適応を見せ、今日に見られる潜水生活を送るようになっていた。


 しかし今日、彼らを取り巻く状況は厳しい。人工的な地形の変化による流水量の不足や、より直接的にダムや水路の建設により住処を追われるケースも生じている。デスマンは求める水質の条件が厳しいため、新天地を見つけることが難しい。また生息域を広げようにも、外来種に対して脆弱で、たとえばロシアデスマンはマスクラットに棲家を奪われて、今も生息域を狭め続けている。ピレネーデスマンも同様に、たとえばスペインではミンクが脱走したのちピレネーデスマンが消失するという事件が生じている。所によっては「絶滅危惧種」に指定されており、未来に暗い影を落としている。

 その繊細さゆえ、デスマンは「アンブレラ種」に指定されている。アンブレラ―――傘をさすと自分だけでなく隣の相手も濡れないで済むように、デスマンを保護すれば、他の数多くの動植物に対しても、理想的な環境を与えられると考えられている。

 この考えに基づいて、国家的な保護計画も持ち上がっている。たとえば2014年には、フランスを筆頭として、38億ユーロもの補助金をかけた計画が実行された。これはデスマンの認知を広げるキカッケにもなり、山岳地帯を代表するこのモグラを保護しようという機運も高まっていった。デスマンが壊れた漁網に引っかかったり、水道管に詰まったりという事故を防ぐための方策が取られるようになったのだ。

 こうした方策はデスマンだけでなく、カワガラスなど他の希少動物を守ることにもつながる。「アンブレラ種」としても、「水質の指標」としても、デスマンは私たちに警告を与えてくれる協力者なのだ。水を潜るモグラという稀有な存在を絶やさないために何をすべきなのか、私たちは問われている。

ピレネーデスマンの剥製。飛び込む姿勢。
(photo by:Tylwyth Eldar)


参考文献

参考動画