高地の覇者ヤクが辿った進化の軌跡、酸素なき極限環境に挑んだ解剖学的な完成形

(photo: Alexandr frolov)
名称(学名)
ヤク(Bos mutus)
分類
ウシ目 ウシ科 ウシ属(Poephagus亜属)
分布
中国(新疆ウイグル自治区、チベット自治区、青海省)、インド(ラダック地方)
生息地
標高4000~6100mの高地や人里離れた高山帯
体長
306~380 ㎝(頭~胴)、100 ㎝(尾)
体高
オス: 170~203 ㎝、メス: 137~156 ㎝
体重
オス: 535~1000 ㎏、メス: 300~350 ㎏

チベット高原に刻まれた四千五百年の共生史――高地文明の礎となった家畜ヤクの系譜

 ヤクとはどのような動物なのだろうか?そのヒントは中国5000年の歴史に隠されている。ヤクは過酷な土地でも育てることができる家畜牛として、4500年前にさかのぼる歴史を持つ。生物史における歴史はさらに長い。はるか昔、ヒマラヤ山脈がまだ3000メートルほどしかなかった頃にはすでに山地へ足を踏み入れており、時代を経て4500メートル級の山岳にまで高度が増しても、なお高地にとどまり続けた。そうして高原で暮らすために進化を重ね、今では高い標高でしか暮らせない極めて特定の環境に特化した動物種として知られるようになった。

 もっとも、野生のヤクを見つけることは難しい。ヤクのうち99.9%は家畜ヤクであり、人間の手を借りずに暮らしている野生ヤクはごく少数しか存在していないのだ。対して家畜ヤクは1500万頭ほど飼育されているとみられ、人間が容易に立ち入れない高地においても放牧可能な点が評価されて、さらなる飼育拡大も期待されている。

 彼らは資源に乏しい極限環境に暮らしているにもかかわらず、栄養価が高い牛乳や、枝肉収支の優れた肉、断熱性を完備する毛皮といった資源を提供してくれる。糞便ですら乾燥させれば着火剤として活躍する。今も高原で暮らしている人々にとっては必須といえる存在であり、古い時代においては、人類が生活域を広げるために不可欠な動物であったのではないかとも噂されている。

 なお家畜ヤクは競争牛や闘牛といった娯楽産業にも一枚噛んでおり、荷運びや農耕作業に従事している労働牛もいる。過酷な環境に耐え、人間の日常生活にもよく馴染んでいる。ヤクに対する人類の信頼は厚い。

今も昔も、ヤクは人類の生活を支えてくれる重要な動物だ。(photo:Krause, Ernst)

三層の毛皮と巨大な心肺が司る生存の理――低酸素と極低温を克服した解剖学的最適化

 薄い酸素に極低温という青海・チベット高原の過酷な環境に適応すべく、ヤクは驚くべき身体的進化を遂げてきた。

 現代のようにヒマラヤ山脈が標高4500メートルを超えたのは、更新世後期の頃と言われている。その影響は計り知れず、特に青海・チベット高原では植生の大規模な変化が見られた。地表が森林限界を上回るほどの高さに達したことで森林が消失。限られた高山植物のみが育成するエサに乏しい環境が生まれたのだ。

 酸素が薄く気温も低い過酷な環境ではあるが、ヤクの祖先はあえてその地に留まり続けた。しかし、通常のウシと同じような暮らしは望めなかったため、独自の数多くの適応を果たしてきた。たとえば彼らは他のウシとは違い、肋骨が1~2対ほど多い。胸腔を広げて心臓や肺を配置するスペースを開けるためだろう。

 同サイズのウシ科動物と比べた場合、ヤクの心臓は1.5倍も重たい。肺に至っては2倍も重たくなることがあり、酸素を吸着させるための組織、胞胚の面積も大きくなる傾向にあるのだという。さらにヤクの血液中に含まれる赤血球は、通常のウシよりも酸素と結びつきやすい性質を持つ。薄い空気から酸素を絞り出して、それを豊富に血液へ含ませ、力強い心臓のポンプで全身まで届けているわけだ。低酸素への適応は万全と言える。

 標高が高い場所では防寒対策も欠かせない。特に高原の冬は容赦がなく、水場をすべて凍りつかせ、深い雪であたり一面を覆い隠してしまう。ヤクはこの厳しい寒さを、分厚い毛皮をまとうことで防いでいる。一般的な家畜牛であれば、とてもではないが高地の冬を乗り切ることはできない。毛が非常に短く、1層構造のごく単純な毛皮しかもたないためだ。1日と持たずに凍死してしまうだろう。ところがヤクは多層構造の毛皮を仕立て上げているため、寒波をものともしないばかりか、深い雪に埋もれていても耐え忍ぶことができる。

 短毛と長毛の2層構造を採用している動物は珍しくないが、ヤクはここにもう1層付け足した3層構造を実現している。最も外側にあるのは、「羊毛」と称されるほどにフワフワな質感の毛だ。8~13センチの長毛がしっかりと体全体を覆い尽くして、寒波から身を守っている。あまりにも長いのでスカートのような形状になっており、ヤクの手足を短く見せている一面もある。

 胸、腹、尾には特徴的な2層目の保護毛が見られる。「馬毛」とも称される髪の毛のような質感をした毛だ。その色艶は見事なもので、かの徳川家康も褒め称えるほどの一品だったのだという。曰く、『家康に過ぎたるものが二つあり、 唐の頭に本多平八』。唐の頭(からのかしら)とはヤクの尻尾の毛を備え付けた兜であり、豪華で見栄えがすることから装飾品として高い評価を受けていたそうだ。

ヤクの毛をあしらった軍帽。白毛は白熊(はぐま)、赤毛は赤熊(しゃぐま)と呼ばれる。(phpto:Yasukuni shrine)

 3層目はきめ細かい短毛で、体毛の80%以上を占めている。短い毛に空気をまぶせて空気層を作り、温かい空気と冷たい空気が行き来できないようにしている。体温を体に籠らせて、寒波を弾くという役割を同時にこなしているわけだ。2種の長毛はこの短毛を守るためにある。空気層が失われないように短毛をすっぽりと覆い隠し、わざと着ぶくれさせているのだ。その甲斐あってヤクの毛皮は寒波をまったく通さず、-30°~-40℃の気温にも問題なく耐えられる。

食糧難を乗り越える飽くなき適応力――難食のコブレシア属さえ糧にする高山帯の採餌戦略

 酸素不足を克服して防寒対策も万全。もはや怖いものなし…と言いたいところだが、高原にはもうひとつ対策すべき問題がある。食糧不足だ。酸素と寒さにあえいでいるのはヤクだけではない。植物も等しく苦しんでおり、森林を形成するような大規模な植物は生きていくことができない。いわゆる高山植物と呼ばれている一部の植物しか生息できず、しかもそうした植物も冬になると姿を消してしまう。森林限界と言われる由縁であり、大多数の動植物が高原に寄りつかなくなる原因だ。

 その対策は実にシンプルだ。夏の間に食い溜めること。そして好き嫌いせずに食べることである。夏はヤクにとって勝負の季節で、食事量が大幅に減少する冬を補うべく栄養を蓄えていく。1日10時間ほどかけて草を食み、その総量は28~38㎏にもなる。対して冬は、同じ時間をかけても食事量は13㎏にも満たない。草が枯れてそもそもエサの量が激減するためだ。

 高原では季節を問わず食料が貴重なので、ヤクはそれらを取りこぼさないように丁寧に食んでいく。通常のウシ科動物は舌を巻きつけて草をむしるのだが、ヤクは上唇を器用に動かしたり、前歯で噛み千切る動作も加えながら草を食んでいる。これにより可食部を増やし、少ないエサ資源を最大限に利用している。

 また、食べ物を選り好みしない。イネ、スゲ、コケ、地衣類…あらゆる緑を食み、自らのエネルギーに変えていく。特筆すべきはコブレシア属の植物も主食に交えていることだ。コブレシア属はウシ科動物にとって消化が難しく、育成期間も短いため消費が困難な植物だ。ただし霜が降り始めてもすぐには枯れないため、冬の間も食べることができる貴重な食料源と見なすこともできる。ヤクはその事実に目を付けて、長い時代をかけてコブレシアに適応してきた。

 実際、この進化が功を成したのか、中央アジア高原ではヤクが他の草食動物より優勢を保ち続けてきた。ヤクはコブレシアだけに留まらず、棘のある植物や木質さえもエサとして消費している。誰も食べないようなエサも選り好みせずに食べることで、食糧難という危機を乗り越えてきたのだ。こうして低酸素・低気温・低血糖という厳しい条件を見事に克服し、ヤクは高地を居場所としてきたのだった。

パワーとスタミナが交錯する御前試合――繁殖の権利を懸けたオス同士の勇猛なる激突

 ヤクはアジア圏においてアジアゾウ、インドサイに次ぐ3番目に大きい野生動物で、オスのヤクは体重1000キログラムを超えることもある。とはいえホルスタインのオスも同じくらい重くなるので、環境の差はあれどサイズ自体に物珍しさはない。

 特徴を挙げるのであれば、体型や姿勢に注目すべきだろう。ヤクの体高は200センチ以上になることもあり、ホルスタインの160センチをゆうに超える。長毛に隠れてはいるが、手足が非常に長いウシ科動物なのだ。背中がコブのように盛り上がっているのも特徴的だ。これは頸椎や胸椎が棘のように伸びているからこその形態的特徴であり、オスはこのコブを見せつけて相手を威圧するのに役立てている。

盛り上がったコブは、ヤクの体をより大きく見せる。(photo:Thomas Depenbusch)

 手足が長いと可動域が広がるので、急斜面を登るときにバランスを取りやすくなる。またヤクは水平な地面に立っていても背中が傾斜しているのだが、これも傾斜に対して有利に働く。急斜面を降りるときに前足へ重心が集中するので、より踏ん張りが利きやすくなるのだ。

 またヤクの蹄は小さくコンパクトにまとまっているので地面に食い込みやすく、これも踏ん張ってブレーキをかける上で有利に働いている。そうやってバランスを完璧に保ちながら、ヤクは足場の悪い砂利道や急斜面も力強く歩いていく。

 湿地の移動もお手の物だ。加重をかけやすい脚が仇となりぬかるみに沈み込んでしまうこともあるが、ヤクは落ち着いたもので、脚を広げてすぐに体勢を整えてしまう。足の裏をしっかり広げて地面との接地面積を増やすことで、これ以上ぬかるみに沈まないようにするのだ。バランスを安定させるとそのまま泳ぐように渡航していく。これがウマやヒツジであれば、溺れる恐ろしさでパニックに陥って暴れ回っているところだろう。

どれほどの急斜面も転げ落ちることなく歩いていく。(photo:gorkhe1980)

 精神面においても、ヤクは高原暮らしに向いているのかもしれない。ヤクを脅かすことはたとえオオカミでも難しい。もしオオカミの声が聞こえてきても、ヤクの反応は冷静そのものだ。周りの仲間と速やかに集合し、襲われやすい子牛は群れの中央に隠してフォーメーションを組む。

 大人のヤクを打ち倒すことはオオカミの体格では不可能だ。特にオスのヤクは手の付けようがない恐ろしい相手であり、突進を受ければ軽自動車に轢かれるほどの衝撃が待っている。もちろん命の保証はない。体の大きなヤクは自分が優位に立っていることを理解しているため、オオカミの遠吠えが聞こえてきてもまるで気にせず、水を飲んだり草を食み続ける。

 ヤクに対抗できるのはヤクだけだ。過酷な環境で暮らしているため、ヤクのメスは2年に1頭しか出産しない。その貴重な繁殖機会を勝ち取るために、ヤクのオスはメスを求めてオス同士で争いをする。メスという資源が限られている以上、オス同士の争いも白熱しがちだ。休む間もなくツノを突き合わせ、20分もの死闘を演じることもある。

 始まりは不穏でありながらも穏やかだ。相手のオスに対して横向きに体を向けて、自分の長毛やコブを見せびらかそうとする。これは身体の大きさを誇張させて、相手を委縮させる作戦だ。体格差が大きな相手には敵わない。これは歴とした事実であり、ヤクの世界でも体が大きな個体ほど繁殖権を得やすい傾向にある。

 大きさが拮抗してお互いに退かないのであれば、決闘は開始される。互いに頭を下げ、ツノを相手に向けたまま勢いよく突進する。強烈な頭突きをお見舞いするのだ。タイミングよく頭突きする、あるいは相手の頭突きを受け止めると、両者はツノを絡ませたまま頭を押しあう。三日月形に湾曲した美しいツノは1メートルにもなる立派な武器であり、相手の攻撃を流すための盾でもある。ツノは頭突きの衝撃を吸って、頭部のダメージを軽減してくれるのだ。またヤクの首は筋肉が恐ろしく発達しているので、自動車級の突進を受けても怯むことなく相手を押し返せる。

 とはいえ押し合いが続けば拮抗状態が崩れることもある。片方が後ろへ押しやられ、時にはぬかるみや砂利で滑りながらも、必死に耐える闘いを強いられる。だが日頃から高原でバランス感覚を養っているためか、足場の悪い場所で激しく押し合いをしても転倒することは稀だ。仮に転倒したとしても、ヤクは受け身を取ることも得意なので問題はない。横倒しになった勢いを活かして側転するかのように転がり、そのまま何事もなかったかのように立ち上がるだろう。そこへ頭突きを重ねてきた相手を冷静にいなせば、ケンカも再開される。

 しかし、どれだけ優れた試合にも永遠はない。後半に差し掛かると互いに息切れを起こしてしまい、お互いの「ハアハア」という激しい息遣いも聞こえてくる。オスたちは頭突きしたままの状態で息を整えて、最後の力を振りぼらなければならない。相手の体力が尽きるまで消耗戦をしかけるのだ。

 結果としてヤクの御前試合には、パワー・バランス・スタミナのすべてが求められる。そのすべてを備えた勇猛な将だけが、メスの心を射止めて後世へ遺伝子を残せるのだ。

重量級のぶつかり合いは圧巻だ。興味があれば、この記事末尾にある参考動画を視聴してみてほしい(photo:lang_u)

温暖化が突きつける宿命的な脆弱性――熱中症のリスクと野生種が直面する生存の境界線

 人間は気温15℃を下回ると肌寒さを感じるものだが、ヤクは15℃を超えると熱中症になってしまう。見た目そのままにヤクは暑さに滅法弱いのだ。汗腺を備えてはいるが、分厚い毛皮に遮られてしまうので機能は限定的で、まともに発汗できるのは鼻先くらいしかない。体温を放出する術がないため、ごくわずかな温度上昇が命取りとなる。

 気温が16℃になるとヤクの心拍数と体温は上昇を始める。20℃に達するともはや活動どころではなくなり、ヤクは日陰や水辺から離れなくなる。食事も放棄して、とにかく体を安静に保つのだ。呼吸も激しくなる一方であり、28℃にもなると80回/分という高頻度で喘ぐようになる。5℃以下では25回/分しか呼吸をしていないことを考えると、極度の疲弊状態にあることがわかる。

 ヤクにとって理想的な環境とは、暖かい季節でも平均気温が5℃を下回るような地域を指す。高原で暮らすための適応を重ねた結果、皮肉にも寒い地方でしか暮らせないという宿命を背負うことになった。

 特に昨今では温暖化の影響が著しく、野生のヤクに対しても懸念材料が増えている。純粋に気温が上昇すると行動が制限されやすくなるので、採餌時間が不足して越冬を妨げられてしまう。あるいは森林限界がより高所に遷移することで、人間の活動域が広がり、野生ヤクとのハレーションが起こる可能性も増してしまう。

 というよりも、すでに軋轢が生じている地域もある。野生ヤクは滅多に人間の居住区には近づいてこないが、そこに家畜ヤクがいるとなると話が変わってくる。たとえ命がけであっても、家畜ヤクとの交配を目的として接近を試みる個体が出てくるのだ。

 野生ヤクは家畜ヤクよりもはるかに体が大きく、人間が素手で追い払うことは不可能に近い。自動車で追いかけ回すなど極端な手段に頼らざるを得ず、疲れ果てたヤクを轢いてしまうといった事故も起こり得る。頑丈なツノと頭蓋骨で受け止められるとはいえ、自動車とぶつかって頭から血を流しながら去っていく痛々しいヤクの姿も確認されている。

 温暖化を押しとどめるための努力はもちろん大切だが、それに加えて、野生と家畜の友好的な線引きを今一度求められているのだろう。

(photo:Adarsh Thakuri)


参考文献:wikipedhia(ja,en,de)/FAO/MDPI/frontiers

参考動画